夢の現実 リチウムイオン電池

 吉野彰博士がノーベル化学賞を受賞した2019年以降、リチウムイオン電池についての理解と期待が高まった。それを機にパソコンやスマホなど自分たちの生活の身近にある便利なIT機器の、目に見える小型化と軽量化に関わる重要な要素だと知った人が多かったからである。しかし同時に、製造コストが高いことや、原料となる希少資源のリチウムもコバルトも特定の国に偏在している問題(埋蔵も産出もリチウムはチリ、中国、アルゼンチン、オーストラリアの4カ国、コバルトはコンゴ民主共和国とオーストラリア、ロシア、キューバの4カ国)、さらには発火事故の多発など、負の側面も知られるところとなっている。
 前号は「電池」の発明と開発について、19世紀以来の進展を非専門の立場で概観したが、一次電池の説明までで紙幅が尽きた。その最後に予告した通り、今号では二次電池について扱うことにする。そもそも一次と二次の違いは、使い切りの一次に対して充電できるのが二次ということはすでに述べた。この「使い切り」の意味は、製造時点で電気エネルギーを満充電していた製品が、流通段階を経て使用に供されるとともに放電を開始して徐々に起電力を失う。使い切ったら捨てる(現在は回収が進む)が、これに対し「充電できる」は rechargeable であり、使用を始めた後も製品の中に電気エネルギーを蓄えて増やせる仕組みにしてあるということである。
 実は、最も古い二次電池は、1859年にフランスのプランテが発明した「鉛蓄電池」である。前号に述べたルクランシェ電池(1866年)やガスナー(独)のマンガン電池(1888年)は一次電池だったが、それらよりも早かった。しかしマンガン電池が電解液の漏出を防いで「乾電池」化することで持ち歩く用途も可能になったのに対し、鉛蓄電池は電槽に電解液を溜めておく構造が維持された。自動車や産業機械の電源として改良されつつ現代まで発達を続けているが、軽量小型化が進んだ乾電池と比して重量があり、車両などに搭載するならいいが、何にでも使えるものではない。
 鉛蓄電池は初期の頃から二次電池の代表的なものであり、エンジンの始動用バッテリーとして使用されてきた。その特徴は瞬間的に強い電流を必要とする要求を満たし得たことである。エンジンが駆動した後は、それが発電機(オルタネーター)となって電気を供給するから、要は天候や気温、前に作動したときとの間隔にかかわらず、瞬発的に始動できればよい。
 乾電池の実用化については屋井先蔵はじめ日本人の貢献が大きかったことは前号で述べたが、鉛蓄電池については1895年に二代目島津源蔵(島津製作所創業者の初代源蔵の長男梅次郎)がプランテ式の試作に成功、連合艦隊の無線通信機の電源に採用された。その後の日露戦争では対馬海峡を北上するバルチック艦隊を発見した報をいち早く伝えたことが知られている。

電池のメモリー効果とは?

 同じ頃、二次電池ながら小型化に成功したのが「ニカド電池」(ニッケル・カドミウム蓄電池)である。1899年、スウェーデンのユングナーの発明だが、負極からは水素ガス、正極から酸素ガスが発生して電池内部の圧力が高くなり、破裂の恐れがあるなどいくつかの課題があって、実用化するのは1948年にノイマン(仏)が発生を抑える改良法を考案してからである。
 ニカド電池は折から競争が激化する様相だった人工衛星に搭載されるなどの成果があり、日常生活用品としても電動工具や掃除機などに使用されたが、カドミウムの有害性が広く知られるとともに、「ニッケル水素蓄電池」に置き換えられた。
 ニッケル水素蓄電池は、1990年、松下電池工業と三洋電機によって製品化された。ニカド電池の負極に使われていたカドミウムを水素吸蔵合金に換えた等の改良が加えられたもので、近年はさらに超格子合金を使用するようになっている。ニッケル水素蓄電池はカドミウムを含まないから安全というだけでなく、ニカド電池に比べて2倍以上のエネルギーがあり、また、寿命も長い。したがって一次電池のアルカリ電池からの置き換えもできるという。もっとも欠点がないわけではなく、ニカド電池の欠点でもあった「メモリー効果」は克服されていない。
 スマホの充電をする際の注意として「最後まで放電しきってから充電しないといけない」と言われた経験がある人は多いだろうが、それがなぜなのか、誰も詳しくは教えてくれない。実はこれが、メモリー効果を回避するためなのである。例えば残量が50%を切ったら必ず充電するという人は身近にも多くいる。ふだんは60%とか70%で充電することはあまりなくても、翌日は遠出するというときに、心配だから充電する習慣を持つ人は少なくない。しかし、まだ残量が30%もあるときに充電を繰り返すと、電池がそれを自分に与えられた容量と勘違いして、その%を記憶してしまうのだという。最近は脳科学でも、人間の脳が誤った記憶を刻んで反応してしまう例があるというが、それとどう関係するのかはわからない。しかし電池の場合、これをメモリー効果といい、その%まで下がると電池が放電しなくなる。同様に時間が足りずに100%になる前に80%とか90%で充電をやめることを繰り返すと、その%が電池の満充電だと誤って記憶されることがあるという(繰り返さなければ1回で誤認することはないらしい)。
 メモリー効果はニカド電池の欠点として知られていたが、ニッケル水素蓄電池でも克服されなかった。ところが、今月の主題である「リチウムイオン電池」(LIB)ではほとんど影響が出ないといわれている。この新しい蓄電池は1980年代から研究が始まり、初期の製品は日本発で市場に投入されたものである。小さく、軽いが、大きなパワーを発揮することが知られている。
 2019年、永年にわたって旭化成で研究した吉野博士が開発者としてノーベル賞を受賞したが、それ以前から東芝の水島公一博士、三洋電機の池田宏之助博士はじめ多くの日本人研究者が開発に携わってきた技術である。前号で触れたリチウム金属を負極に使用した一次電池の研究実績をもとに、1985年に吉野博士が「正極にコバルト酸リチウム、負極に炭素材料」を用いた最初のリチウムイオン電池を発表。これが原型となり1991年にソニーが世界最初の実用化に成功した。その後、軽量・小型に加えて大容量、長寿命という優位性も達成し、産業のゲームチェンジャーといわれるほどの革新的技術になった。

全固体電池の時代へ

 もちろん課題も多い。本稿の冒頭で述べた高コスト、資源の偏在、発火の危険が完全には克服されていないからである。このうちコストについては、使用するコバルトの量的削減が研究されているし、次の、専制独裁国家で非人権的なコンゴに偏在している問題(埋蔵で50%、産出で60%超)は、使用済み電池から回収してリサイクルする技術の開発が進められている。また、発火の原因はおおむね解明されているから対策も練られている。その一つである過放
電と過充電は消費者の意識によるところも大きく(例えば満充電の後の長時間にわたる放置は危険など)、啓発も必要だろう。
 最後に、今、話題の製品であり期待の技術である「全固体電池」について触れよう。基本的にはリチウムイオン電池の一つだが、正極と負極を往還する電子と電流の通り道になる電解質(最初は有機溶媒すなわち液体だった)にセラミックスまたはガラス様の無機固体材料を使ったもので、リチウムイオン電池の進化形といえよう。液体やジェルでないから液漏れはないが、電極の活物質と電解質の接触面積が小さくなってしまう。これを加圧して密着させるなどの方法で解決し、現状のリチウムイオン電池よりも高い性能を確保しようという技術である。
 無機固体電解質を使うメリットとしては、有機溶媒に比べて難燃性に優れ、エネルギー密度の高度化が得られ、高電圧、高出力が可能になるとされる。加えて充電時間が短縮できることは電気自動車(EV)の普及に決定的なマイナス要因の除去につながるので、自動車製造会社と電池メーカーが協力して開発を急いでいる。しかし、量産技術は確立されていないと観測されていたが、トヨタもホンダも、まさに去年から今年にかけて、量産体制確立のための施設の建設など、実用化の準備に入ったところである。
 さらに次世代電池として、半固体電池やリチウム空気電池、ナトリウムイオン電池等の研究も進められており、各社の技術競争は目が離せない状況にある。
 本稿の表題には「夢の現実」とある。3年前に始まったロシアによるウクライナ侵攻は、いまだ停戦にも至らない。最近の報道では、ロシアの各地方にある軍事基地がドローンで爆撃されたという。空中撮影や物資の運搬を容易にするなど、ドローンは便利な技術だが、兵器としての投入を可能にしたのは、軽量・小型化・高出力のリチウムイオン電池の開発だったという現実を忘れてはならないという意味を込めている。

本稿は参考資料として、前号に明記したものの他、京極一樹『電池が一番わかる』(技術評論社、2010年)、清水洋隆『絵とき「電池」基礎のきそ』(日刊工業新聞社、2010年)等を使用しました。

湯川裕光
作家。1950年、東京に生まれる。東京大学法学部卒業。『安土幻想』『小説古事記成立』など歴史小説を書き、『マンマ・ミーア!』『異国の丘』など、劇団四季のミュージカルの台本も手掛ける。『瑤泉院』は稲森いずみ、北大路欣也主演でテレビ東京の正月10時間ドラマの原作になった。現実政治に携わったこともある。